東久邇盛厚殿下について 

東久邇宮盛厚殿下(1917年5月6日~1969年2月1日)は、第2次世界大戦直後に総理大臣を務められた元皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ)王の長子としてお生まれになりました。陸軍士官学校を卒業されてからは陸軍将校として勤務され、昭和18年、26歳の時に昭和天皇の長女である照宮成子内親王とご結婚されました。昭和22年の51名の皇族離脱の際に夫人・長子共に皇籍を離れ民間人となり、東久邇盛厚(ひがしくに・もりひろ)と名乗られます。成子夫人と死別された後には、寺尾佳子様と再婚されました。下記の写真は、昭和天皇のご一家と共に映られた、殿下とそのご家族の貴重なお写真です。


昭和天皇ご一家と東久邇宮ご一家
昭和天皇ご一家と東久邇盛厚殿下ご一家


写真に写られた昭和天皇ご一家と東久邇盛厚殿下ご一家のお名前
写真に写られた方々のお名前(皇籍離脱前の呼称で記載)


皇籍を離れる直前の昭和22年の歌会始で、盛厚王と殿下の母宮である稔彦王妃聡子内親王が歌を詠まれています。昭和天皇の御製と共にここにそれを紹介いたします。お題は「あけぼの」です。

 たのもしくよはあけそめぬ水戸の町うつつちのおともたかくきこえて (昭和天皇御製)

 四方のくにむつみあふ世の長閑(のどけ)さをこのあけぼののそらにみるかな (稔彦王妃聡子内親王)

 こころさへみそらのごともすみわたるこのあけぼのにあふぞうれしき (東久邇宮盛厚王殿下)

敗戦から2年、戦後の混乱が落ち着きを取り戻し、日本社会がこれから復興に向かおうとする最中、殿下の希望に満ち溢れた心中が読み取れるのではないでしょうか。
(参考:宮内庁ホームページ 昭和22年歌会始お題「あけぼの」より)


東久邇宮家系図のサムネイル画像

 左図は、東久邇盛厚殿下の姻戚関係を表す家系図です。殿下は久邇宮家から分家した東久邇宮家の血統にお生まれになり、明治天皇の孫、昭和天皇の娘婿に当たるお方です。左図をクリックすると大きな家系図をご覧いただけます(JPEG画像)。











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東久邇宮国際文化褒賞受賞式典イメージ画像